文章を書く

別に私は小説家なわけじゃない。ブロガーなわけでもないし、小さな頃から日記をつけているわけでもない。

それなのに時折、文章が書きたくて書きたくてしょうがない衝動に駆られる。

趣味で書いている二次創作の小説が書きたくなる。話を考えたくなる。誰かに読んでもらいたくなる。

 

そうやって感じる衝動を上手く消化できなくて、今こうやってブログを書いている。

 

文章だなんだとだらだら書き連ねたけれど、なんというか、言ってしまえばセンチメンタルなのだ。

だから夜中に窓を開けてこれを書いている。月は見えないし、夜景も見えない。生乾きの洗濯物のにおいに包まれて、重たい瞼を持ち上げながらこれを書いている時間が、私はそんなに嫌いじゃないんだと思う。

 

それに、私は私が好きだ。

 

何もかも嫌になることは多い。衝動的に消えてしまいたいと思うことも少なくない。自分のスペックの低さに絶望するし、上手くできない歯がゆさも、劣等感も、きっと人並みには感じて生きている。

だけど私は私のことを嫌いになれない。

こんなにクズでのろまで努力できなくて、どうしようもない私のことを、まだ、好きでいる。

 

もっと強くなりたい、もっと成長したい、もっともっと人生を楽しみたい。

 

私が生きている意味だとか、そんな大層なことを言うつもりはないけれど、だけど私は人生を楽しむために生きている。

きっと私はまだ人生を楽しめる。こらから先、きっと、私が知らない楽しいことがたくさん待っている。環境も感性も、何もかもが変わる。

そんな未来を想像できるのが嬉しくて、これが私のデフォルトであればいいと思う。自己実現も夢も希望も、やりたいことをやった先にあればいいと思う。

 

そうして私は今日もベッドへ滑り込むのだ。

 

明日の朝はベーコンエッグとトーストを食べる。

いつもと変わらない明日の朝が、いつもと同じように、輝けばいいと思う。

就活が、終わりそうな気配がしている。というか、もうほぼ終わったと言っていい。

私は今、第二志望の内々定を握りしめながら、今週末にある第一志望の最終面接へと向かっている最中だ。

就活が終わって、映画館でダンボを見たら、ブログを書きたいなと思う。

「わたし」見直す大きなきっかけになった就活を終えて、考えることはきっと色々あるんだろうけれど、それを書きたいと思う。

不安を自分の体から切り離してしまうと、行動力も同時に消えてしまうのはどうにかならないのか?

 

私は完全に「不安」を原動力に生きている。

その「不安」は「予定通りに物事が進まなかったらどうしよう」という「不安」なので、基本的に自分に求めるレベルが高めな私は結構な頻度で死にそうになっている。

 

それなのに、「行ける気がする」という気持ちになると一切の努力をすべて手放してしまうクソみたいな悪癖があるので、まあつまりは自分の中で納得できればそれで終わりなんだろうな~と思う。

 

就活はまだまだ続く。

就活備忘録

先日第一志望の会社の懇親会へを足を運んだが、完全に心が折れ、

ここにきて就職活動が夏の状態に戻ってしまうという非常事態である。

思うに、11月の研修会で自分の精神を高めすぎたのが敗因だろう。

「実際に自分が頑張れるライン」よりもかなり上を見て、

頑張ってみようと思っていた気がする。

そう思うことは大事なんだけれど、本当に頑張れるのか、

常にその状態で居られるのかはまた別の話である。

 

色々と考えた結果、やはり早期に就活を終えるのは自分の精神衛生上

あまり良くないだろうという結論に至った。

やれることはやれるときに全部やらないと気が済まない性分であるからして、

決め打ちした企業に受かったら終わり、というのは不安の方が大きいらしい。

これはもっと早くに気付くべきところだったと思う。

 

つまるところ、「行動力」を意識しすぎて

自分の精神がついてこなかったというアホである。

 

ただ、これに今気づけたのはすごく大きなことだと思う。

そして今ここで立ち止まれたのは、自分にとってすごく有益なことになる

かもしれないと思う。

なんというか、私は「頑張っているように見せてその実真剣に考えていない」

という状況が多い。

行動することで考えることをやめている。

行動しなければと思うあまり、深く考えないようにしている。

安パイを取ろうとしている。

 

今回お断りすることで採用フローに乗れないようなら、

もうそれはそれで縁がないのだろう。

 

正しく自分の居場所と状況を判断するというのは、すごく難しいと思う。

自分のことを自分で把握するのって、たぶん一人では絶対にできない。

私は周りの人にものすごく恵まれていて、相談する相手も複数人いる。

いろんな人に話を聞いて、それを鵜呑みにしたり、流されたりするんじゃなく、

自分の中できちんと噛み砕いて、考えて、それから結論を出しても

いいんじゃないかなと、そう思ってしまう。甘いんだろうなとも思う。

 

もう一度初心に戻って、頑張りたいと思います。

不安を自覚するということ

就職活動開始を目前として、日々の生活に対するやる気というものを失いつつある。

今週末に行われる懇親会が今後の就活においてかなり重要な部分だと知っているにも拘わらず、今週に入ってから何も手につかない状態が続いている。

 

ここで自分の状態を一度見直してみようと思う。

自己分析も兼ねた、今後の自分の人生をどう取り組めばいいのかということだ。

自分の性質をきちんと理解しなければ、自分をコントロールすることは難しい。

 

まず、意識を高く保つことと、行動はまた別物だということ。

それから、やるべきことの洗い出しが死ぬほど下手くそだということ。

更に一番の欠点は、「自分が不安と思っていることを自覚していない」という部分である。

 

基本的にはやるべきことを考えてそれに手を付けるという方法で人生を送ってきたが、ここでその手法が裏目に出ている感がある。

というのも、やるべきことをやるというのは、その先にある不安に立ち向かうということである。

試験勉強をするためには、その教科の何が難しく、自分が何が苦手なのか自覚しなければ対策はできない。

つまり就職活動においても、自分が今どういう立ち位置にいて、どういう可能性があり、どういう「最悪の状況」が待ち受けているのかを考えなければ、対策はできないということだ。

私はそれと向き合うのが嫌なので、すべてを投げ出しYouTubeで永遠にマインクラフトの動画を見るなどして過ごしているわけである。(23歳とは思えない)

 

更に不安がたくさんある場合、何かの不安をつぶすために行動しておきながら、他の不安なことが気になって何も手につかないというのはもうかなり前からある症状である。

これが結構な壁で、例えばSPIの勉強をしながらTOEICが気になるとか、自己分析をしなければならない気がするとか、そういう思考が散乱状態なることが多々ある。

しかしこれに対しては自分の中でどうすればいいのかだいたい分かっていて、それは「スケジュールを立てる」というただ一点のみである。(後からきちんとやるんだから大丈夫だという安心が無いともう無理)

 

そしてここで新たな問題、スケジュールを立てるのが死ぬほど下手くそにぶつかっている。

これ、今後の課題ですね。

就活覚書①

私は土木系の学科に所属している大学院生である。

来年に就活を控えた修士一年生で、春からいろいろ考えたわけだが、やっぱり脱土木が現実的なのかもしれない。

 

この夏、橋梁メーカーのインターンシップに参加して考えたことがある。

 

私が一番優先するのはこの先の人生がほんとうに楽しいものになるのかどうかだ。

事実はどうであれ、いろいろ学んだ先で、私が「就職した後の未来」を考えてワクワクできるかどうかが一番重要になってくる。

 

……となると、もう実際土木業は無理な気がするわけよ。

 

私がワクワクするのは「ものづくり」で、これはまあ、理系に限らずゲームとか小説とかも、とにかく「他人の人生に大きな影響を与える可能性があるもの」で、「それをすごく好きな人がいる」とさらに良い。

橋梁って、それで人生が変わる人はたくさんいるけれど、それは外的要因というか、「道ができた」「便利になった」とかの変化で、私が求めてるのは「考えが変わった」とか「今後の人生の優先度が変わった」とかの変化なのだ。そうじゃない。それを目標にできる人が大勢いるのは知っているけれど、私はそうじゃない。

 

更に業種的にどこに行っても激務というのがきつい。

これはブラックとかホワイトとかではなくて、単純に勤務時間が長すぎるのだ、全体的に。「多趣味の極」みたいな人間には辛すぎる。

 

あとこれは自分の中でまだ消化しきれてないが、とにかく「責任がでかい」のだ、土木職。プレッシャーに耐えられる気がしない。怖い。ほんとに怖い。嫌だ。

 

この大量の「嫌だ」が前面に出ている職に対して、平静を保って就活できる気が全くしない。

ので、まあ土木職のなかでも自分が耐えられそう、ワクワクできそうな職を探っていきながら、全く違うところ、まあ「ものづくり」ができる、できれば地元でできる会社を探していこうと思う。

 

就活備忘録でした。